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日本歴史
- 2008/05/21(水) 22:01:30
五月二十一日の日記。
今日吉川弘文館より『日本歴史』の最新号が届きました。
私の論文が載ったということはありませんが、(せめていつか)
筆頭論文について思うことを。
片山正彦「天正後期秀吉・家康の政治的関係と「取次」」という論文です。
筆者は仏教大学のドクター生で、いくつか発表論文もある人です。
皆様の感想を求めます。
「続きを読む」をクリックすると?
私個人の感想を述べます。
専門的な話になるので、興味ある方だけどうぞ。
大まかな筋、つまり小田原合戦以前における徳川家康は
豊臣氏家臣と考えるのは不適当という論旨には賛成です。
有力大名はいわば外様として遇された段階であると私も考えております。
小田原以前の中枢は一門かという見通しをもっています。
家康の位置づけに関してのみ言うのであれば、先年の平野明夫氏の著書に近い見解
だと理解しております。
ただ、「取次」に関する言及をするのであれば、
もう少し突っ込んで欲しかったです。
上杉景勝や富田知信とは異なる立場であった
と述べているわけですが、質的になにがどう違ったのか
明確ではありません。
彼らは秀吉の朱印状によって任命されて、「取り成し」を
おこなったそうですが・・・
朱印状による裏づけがないとすると、
家康が東国に(北条氏以外含め)関与する必然性が見えません。
同じく北条氏と交渉を行った富田や津田との兼ね合いも不明確です。
更に、使者として活動した妙音院や一鴎軒と
徳川氏の人間が打ち合わせをしていることを
徳川家臣朝比奈泰勝が北条氏規に語っている事実はどのように説明されるのでしょう。
最後に、豊臣氏による北条氏攻撃を、北条氏の責任に帰す事で
家康の立場を守っているようにも見えるのも気になります。
こうした疑問に対して、徳川家康と豊臣秀吉の
政治的関係のみを扱っているのでそんなの知らない。
と逃げてしまうような気もしないでもないですが。
ドクター生の論文ってこんなもんでいいの?
あと、これが補助金を受けている研究の一環なんだって。
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この記事に対するコメント
文系の論文事情は詳しくないので、理系の感覚で書かせて頂きますが・・・
補助金を受けている研究だからこそ、「こんなもん」と感じたのではないでしょうか?
補助金を受けた研究は、成果が出ようが「出まいが」、必ず成果報告をしなくてはいけません。
そこで、補助金を使った研究の論文投稿実績や雑誌への掲載実績を作るために、中途半端な結果でも、半ば無理やり論文・報文を投稿してしまう(そして意外と審査も通る)傾向が少なからずあります。
上記のような背景で作成された論文・報文は、大した結果でないものを「それらしく」書いているだけなので、僕たち学生から見ても「え〜、こんなのでOKなの?」というものが、よく見られます。
うちの研究室も色々なところから補助金をもらっているので、めったなことは書けませんが(^_^;)、
「補助金をもらっているからこそ」、ぼのさんが「こんなもん」と感じるレベルだったのかもしれません。
コメントありがとうございました
なるほど、そうですね。
補助金が出されている研究であれば、なんらかの形での
成果提出が必要となってきますね。
補助金というのも大変ですね。